素麺屋ブログ

2023/04/09 21:52

 

 

【お!いしい けんぶんろく】 Vol.9

人体にも手延べ素麺にとっても欠かせない『塩』について

 

 

 

 

素麺は、小麦粉を塩水で練り合わせて作ります。

調べると小麦粉を使った麺づくりに塩が用いられるようになった歴史は古く、平安時代中期の書物「延喜式」には、素麺のルーツとされる「索餅」の材料として塩の記述が見られます。

今回は、人体にも不可欠な塩の働きやその歴史、手延べ素麺における塩の役割などをご紹介します。

 

三代目:石井製麺所では、午前3時30分頃から練り作業を行っています。

天候や温度・湿度を観て、小麦粉と食塩水の最適な配合量を量り、30分~40分ほど丁寧に練り合わせます。

この工程をしっかりおこなわないと、この後のすべての工程が台無しになってしまいます。

ただ小麦粉に食塩水を加えるのではなく、上手く混ざるように食塩水を流し込む場所とタイミングを選んでいます。

こまめに手を加えながら、グルテンがしっかり形成された麺生地をつくるためにムラなく、無駄なく練り上げます。

 

 

【目次】

① 人体に不可欠な塩の働き

② 手延べ素麺の原料としての塩の役割

③ 素麺を食べても塩分取り過ぎにならない理由

④ 奥が深い塩の歴史《世界編》

⑤ 知っていそうで知らない?!塩の歴史《日本編》

⑥ 《産地紹介》三重県・大矢知(おおやち)素麺 

 


 

① 人体に不可欠な塩の働き

 

塩は、人間が生きていくうえで大切な働きをしています。

体内の塩分量は、大人で体重の0.3~0.4%、子供では約0.2%とされています。

例えば体重60kgの人の体内の塩分量は約200gということになります。

塩は体内でナトリウムイオンと塩化物イオンに分かれて存在しており、いろいろなシステムの働きを守り、維持する役割を果たしています。

 

<細胞を正常に保つ>

人間の体を構成する細胞は、細胞外液という液に囲まれています。

塩はイオンの状態で細胞外液に多く含まれ、細胞外液の量を維持しています。

このことにより、全身の細胞に酸素や栄養分が運ばれたり、二酸化炭素や老廃物が肺や腎臓に運ばれ排出されたりします。

また、細胞外液の濃度を調整し、バランスを一定に保つことで、細胞の働きを支えています。

 

<消化や吸収を助ける>

体内の塩化物イオンは胃酸の主成分となり、胃で食べ物を殺菌したり、消化を助けたりしています。

ナトリウムイオンは小腸で、アミノ酸やブドウ糖などの吸収を助けています。

 

<情報を脳や体に伝える>

神経細胞は、ものを触ったときなどの刺激を脳に伝える、脳から体を動かすように筋肉に命令を伝える、などの働きをしています。

神経細胞が刺激や命令を伝えるときに必要となるのがナトリウムイオンです。

 

以前は塩の取り過ぎが高血圧の原因と考えられていましたが、近年では、塩の摂取と血圧の上昇は必ずしも結びつかないことが明らかになってきているそうです。

 

三代目:私、実は3月の前半に体調を崩して入院しておりました。

術後経過も順調で、復帰して現在は元気にしております。

いわゆる病院食というと、「味気がない」といったイメージがあり、「手術後は重湯だった」というお話も聞いたことがありました。

もちろん、病気の内容や重さによって食事の内容は変わるのだと思いますが、意外にも手術翌朝の朝食から「ふりかけ」が付いていたり、栄養バランスが考えられた食事ながらも、ちゃんと塩気があるものが出されました。

今になって振り返ると、この塩気がとても美味しく、ありがたく感じられました。

「傷ついた体に染み渡る」といった感じでしょうか。なんとなくですが、回復しようとする体が塩気を求めていたように思います。

どうやら「塩気がある食事が出るようになると、不思議と食欲が湧いてきておかわりが欲しくなった」という患者さんもいらっしゃるようです。

食欲がわいてきたからではなく、塩気を取ると美味しく感じ、おかわりが欲しくなったみたいですね。

人間は塩味の刺激により、美味しいと感じる正常な味覚が保たれるんでしょうね。

大学生の時分にも、アーチェリー部で活動をしていたときは、熱中症や脱水症状を起こさないように、塩分(ミネラル分)補給はとても気をつけていました。

激しい発汗や下痢などで体内の塩分が足りなくなると、脱水症状、血圧低下、立ち眩み、倦怠感、精神不安定、眠気、脱力感など、さまざまな症状が現れるそうですから、闇雲に塩分を拒否するのでは無く、上手に向き合っていく必要がありますね。

 

 

<参考サイト>

・塩と健康の関係

https://www.nihonkaisui.co.jp/small_customer/learning_salt/health

・体内の塩

https://www.shiojigyo.com/siohyakka/about/human/inside.html

・塩とからだの大事な関係

https://www.shiotokurashi.com/life

 

 


 

② 手延べ素麺の原料としての塩の役割

 

素麺やうどん、ひやむぎなどの麺は、小麦粉と水だけではなく塩を加えて作られます。

塩を入れる理由としては、科学的根拠のあるものがいくつかあります。先人達のアイデアや知恵は本当に素晴らしいものです。

この手延べ素麺作りの叡智を活かし、さらなる美味しい素麺作りを続けたいものです。

 

<グルテンを引き締める>

麺のコシの元となるグルテンは、小麦粉のたんぱく質が水と合わさることで形成されます。

生地をこねて引きのばすことにより、グルテンが何層にも重なった地層のように組織されます。

塩には、このグルテンを強く引き締める働きがあります。

夏は気温が高く、生地がだれやすくなるので塩を多くし、逆に冬は生地が硬くなるので塩を減らす、といったように、季節や天候などにより塩分濃度の微調整が必要です。

まさに、良い塩梅が美味しい素麺に不可欠なのです。

 

<酵素の活性を抑制する>

塩が小麦粉に含まれるたんぱく質分解酵素の働きを抑えることで、生地がじっくり熟成され、より弾力が増します。

 

<保存期間を長くする>

水分活性が小さくなるため雑菌が繁殖しにくくなり、保存性が向上します。

 

<乾燥を防ぐ>

塩には吸水性があり、水分を蓄えようとします。

熟成を繰り返しながら麺を細く延ばしていく手延べ製法において、塩は急激な乾燥によるひび割れを防ぎ、表面をなめらかに仕上げるのに役立ちます

 

<ゆで時間を短縮する>

ゆでる時に、麺に含まれている塩がお湯の中に溶けだし、お湯が麺の中に入り込んで、でんぷんが糊化します。

塩を多く含んでいれば、それだけ早くゆで上がることになります。

 

<味を良くする>

ゆでることで塩分の多くは溶け出しますが、わずかに残った塩味が、麺の風味や旨みを引き立てます。

 

三代目:今、新麺開発を行っているのですが、塩の重要性を特に感じます。

麺の伸びをよくするのにも、止めるのも塩加減ひとつです。

入院中は、新麺開発を進めることができず、体がウズウズしていましたが、ここはグッと我慢の日々でした。

新麺開発のための理論を整理するために色々とまとめ直していましたが、やはり塩加減というのが肝心で、これから暖かくなるにつれ、また塩分量も変化させないといけません。

“麺は生き物”と感じることが多々ありますが、塩によってコントロールする技術や経験を積み、麺づくりと上手に付き合っていきたいものです。

そのためにも今回の『塩』というテーマは、今の時分にピッタリなのだと感じます。

 

 

新麺を試作で伸ばす様子。

今回は、想像以上に伸びてしまい、塩加減の難しさを痛感しました。

これはこれで美味しく食べましたが、皆さまにお届けするのはもう少し先になりそうです。

 

<参考サイト>

・うどんに塩を入れる理由

https://www.flour.co.jp/news/article/111/

・手延べそうめん、うどんの副原料

https://www.shimabara-soumen.com/article/14245881.html

・うどんと塩

https://www.nichimen.or.jp/know/zatsugaku/19/

 

 


 

③ 素麺を食べても塩分取り過ぎにならない理由

 

厚生労働省「日本人の食事摂取基準(2020年版)」では、食塩摂取の目標量(食塩相当量として)は、成人1人1日当たり男性7.5g未満、女性では6.5g未満と設定されています。

文部科学省の食品成分データベースによると、手延べ素麺(乾麺)の1人前100gに含まれる塩分の量は5.8gですが、ゆでるとお湯に溶けだすため、塩分量は0.3gにまで減少します。

さらに水洗いすることでも塩分が抜けます

このように、素麺はけして塩分の多い食品ではありません。

 

 

三代目:塩分の取り過ぎが気になる方は、たっぷりのお湯でゆでてしっかり水洗いすることを心掛けてみてください。それだけでも随分変わります。

また、一番肝心なのは、食べる際にめんつゆの塩分量に気を付けられることだと思います。

出汁を強めに利かせたり、薬味を工夫したり味に変化を持たせることで美味しく、ぐっと体に負担が少なく召し上がっていただけます。

最近ではオリーブオイルを数滴垂らして召し上がっていただくこともおすすめしています。

特に私がおすすめしているのは、和風出汁に合うオリーブオイルです。

コクが出て、清々しい香りがして、つるんっと召し上がっていただけますよ。ぜひお試しください。

 

 

<参考サイト>

・厚生労働省 e-ヘルスネット「ナトリウム」

https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/dictionary/food/ye-024.html#:~:text=%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E9%A3%9F%E4%BA%8B%E6%91%82%E5%8F%96,%E6%9C%AA%E6%BA%80%E3%81%A8%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

・文部科学省 食品成分データベース

https://fooddb.mext.go.jp/search.html

・そうめんは塩分が多い?すぐに使える塩分を摂りすぎない減塩レシピ

https://dime.jp/genre/1405923/

・「そうめん」の塩分量はどれくらい?管理栄養士が教える減塩のコツ3つ

https://macaro-ni.jp/109133?page=2

 

 


 

④ 奥が深い塩の歴史《世界編》

 

地球の表面積の70%は海で、海水には塩が約3%の濃度で溶けています。

人類は大昔から、生活に欠かせない塩を手に入れるため、各地でそれぞれの環境に応じてさまざまな製塩を行ってきました。

現在、世界中で1年間に約1億8千万トンの塩が生産され、そのうちの約4分の1が海水から、残りは岩塩や塩湖などから採られているそうです。

古代文明の塩の歴史について、記録を記したものがあったので3つの時代についてご紹介します。

 

<古代中国>

山西省運城市の運城塩湖では、紀元前6000年には製塩所ができ、湖面に浮かぶ塩の結晶を採っていたとされています。

紀元前450年頃には、塩を煮詰めるために鉄鍋を使ったという記録が残っているそうです。塩づくりに鉄を使ったことが分かる最初の資料と考えられています。

唐の時代、塩の製造や販売は国が取りしきっており、王朝は財政状況に合わせて塩の値段を操作することで、万里の長城の建造費を捻出することができたと言われています。

 

<古代ローマ>

ローマ帝国では、塩は誰にでも与えられるべき、多くの人に行きわたらせたいものと考えられており、庶民の食卓にも塩が置かれていたそうです。

イタリアやローマから広がる領土には多くの製塩所がつくられ、その周辺に都市が築かれました。

塩を各地に運ぶためにつくられた「塩の道」が世界へと広がり、ローマ勢力はその勢力を拡大していったとされます。

給料を意味する「サラリー」、兵士を意味する「ソルジャー」という言葉は、ラテン語で塩を意味する「サル」が由来とされています。

 

<古代エジプト>

古代エジプトでは、ナイル川の先に広がるアフリカの砂漠の干上がった湖から塩を入手することが容易だったようです。

塩を調味料の材料にしたり、肉や魚、野菜を塩漬けにしたりしていたという記録が、パピルスや壁画で残っているとのことです。

葬儀のお供え物として、塩漬けの魚と食卓塩入れがあったという話もあります。

 

※写真はAdobe Stock「Pamukkale, natural pool with blue water, Turkey」より

<参考サイト>

・世界の塩・日本の塩

https://www.tabashio.jp/collection/salt/s4/index.html

・塩の歴史

https://www.shionavi.com/salt/history

 

 


 

⑤ 知っていそうで知らない?!塩の歴史《日本編》

 

日本で塩づくりが始まったのは、縄文時代の終わり頃と考えられているそうです。

狩猟生活を送っている時代は、海から取れる魚貝類には塩味がついており、動物の肉にも塩分が含まれているため、人体はそれほど塩分を必要としなかったようです。

稲作をはじめとした農耕生活に変わり、食生活が穀物主体のものになると、ナトリウム不足になりがちなため、塩分を摂取する必要が生じてきたと言われます。

日本は岩塩などの塩資源に恵まれておらず、多雨多湿のため天日だけで塩を作ることも難しく、海水を煮詰めて塩の結晶を取り出すしかなかったようで、それぞれの時代で知恵と工夫を凝らした製塩法が生み出されたようです。

四方を海に囲まれた日本は簡単に塩が採れると考えてしまいますが、岩塩などから塩が採れる国と比べ、人力で海水をくみ上げたり、海水を煮詰めたり、精製も必要で時間も手間も掛かることから、日本で塩は長い間、大変貴重なものだったということがうかがえます。

以下に、日本での古来からの塩の製法を調べてみました。

 

<縄文・弥生時代>

海水をそのまま煮詰める「直煮(じきに)製塩」。全国各地で、製塩用の土器が出土しているそうです。

煮詰める途中で土器が割れるなど、一筋縄ではいかなかったと想像されます。

 

<弥生時代>

ホンダワラなどの海藻を積み重ねた上から、海水をかけては乾かす作業を繰り返していたようです。

塩の結晶が付いた海藻を焼き、できた灰を釜に入れて海水を加え濃い塩水にし、その上澄みを煮詰めて塩をつくる「藻塩焼(もしおやき)製塩」を行っていたとされます。

海藻は乾燥しにくく燃えにくいので少しの塩しか採れなかったそうです。

 

<室町時代中期>

「揚浜式(あげはましき)塩田製塩」が行われるようになりました。

粘土板の上に砂を敷き詰め、水が染み込まないように固めた塩田に、人力で汲み上げた海水を繰り返しまいて天日乾燥させ、砂に塩分を付着させます。

砂が乾いたら海水で洗い流してかん水を採り、釜屋と呼ばれる小屋で煮詰めて製塩をおこなったようです。

 

<江戸時代>

潮の干満差を利用して塩田に海水を引き込み、毛細管現象によって砂を湿らせる「入浜式(いりはましき)塩田製塩」が行われ、海水を汲み上げる労力が要らなくなったそうです。

それ以外の作業は「揚浜式塩田」と同様でした。

瀬戸内海沿岸の10カ国(長門、周防、安芸、備前、備中、備後、播磨、伊予、讃岐、阿波(現在の兵庫県、岡山県、広島県、山口県、徳島県、香川県、愛媛県))を中心に大規模な「入浜式塩田」が築造され、「十州塩田」と呼ばれました。

「入浜式塩田」という方法は、塩の干満差が大きい瀬戸内海沿岸で開発・発展してきたとされ、現在でも塩のメーカーが瀬戸内海沿岸に多いのは、ここに由来しているそうです。

昭和30年頃までの約400年にわたり、日本独特の製塩法として盛んに行われたそうです。

 

<1953年~1971年>

昭和30年頃から「流下式枝条架併用(りゅうかしきしじょうかへいよう)塩田製塩」が主流となりました。

ポンプで汲み上げた海水を、緩やかな傾斜をつけた塩田に流し、水分を蒸発させて濃い海水にします。

これを竹の枝を組んだ「枝条架」の上からしたたらせ、太陽と風で水分を飛ばしてさらに濃縮させ、煮詰めて塩をつくります。

これまでの「入浜式塩田」と比べ、生産量は2.5~3倍に増加し、労力は約10分の1 になったそうです。

 

<1972年~>

イオンの性質を利用して海水中の塩分を集める「イオン交換膜製塩」に、全面的に切り替えられました。

塩の主成分・塩化ナトリウム(NaCl)は、海水中では電気を帯びたイオン(Na+とCl-)になっています。

陽イオンだけを通す陽イオン交換膜と、陰イオンだけを通す陰イオン交換膜を交互に並べ、電気を流すことで、濃い(Na+とCl-が多い)塩水と、薄い(少ない)塩水ができます。

こうしてできた濃い塩水を煮詰めて塩が作られています。

「イオン交換膜」による製塩法が開発されるまで、日本では実に1000年以上も塩田による製塩が続いてきたのです。

 

<1997年~>

1905年から「塩専売法」という法律のもと、塩の製造・販売は国により管理されてきました。

1997年、新しい法律に変わったことで「イオン交換膜製法」以外でも塩をつくることができるようになりました。

2002年には塩の製造・輸入・流通が完全に自由化されたことで、塩製造者が増え、様々な方法で塩づくりが行なわれています。

 

三代目:塩が大変貴重だったということから、手延べ素麺作りが発達したのは、塩が比較的身近にあった海に近いエリアであるのが納得できます。

まあ、海に囲まれている日本ですから海に面していること自体は珍しくも無いのでしょうが、海に面していない奈良県桜井市の三輪素麺が発祥となったのは、少し不思議な感じがしますね。この辺は、機会があればまた調べてみたいと思います。

 

※写真はPhotoAC「香川県宇多津町 うたづ臨海公園にある復元塩田」より

<参考サイト>

・日本の塩 世界の塩

http://www.tokyosalt.co.jp/woldsolt

・世界の塩造り、日本の塩造り

https://www.nihonkaisui.co.jp/small_customer/learning_salt/Japanese_salt

・日本の塩づくりの歴史

https://www.shiojigyo.com/siohyakka/made/history.html

・日本の塩つくりの歴史

https://www.hakatanoshio.co.jp/salt/history/

・株式会社天塩「塩とは」

https://www.amashio.co.jp/shio/#h-anker2

 

 


 

⑥ 《産地紹介》三重県・大矢知(おおやち)素麺

 

大矢知素麺は、三重県四日市市大矢知地区で作られる素麺です。

今から約200年前の江戸時代末期、1人の旅の僧侶が大矢知の農家に一夜の宿を請い、人々の親切なもてなしに大変喜んで、そのお礼として素麵の作り方を授けたのがその始まりとされています。

 

朝明川の清流と、鈴鹿おろしと呼ばれる乾燥した北西の季節風という気候風土に加え、北勢地域が小麦の産地であったことなど、素麺づくりに適したこともあり、農閑期である冬の副業として、素麺づくりが盛んになったと言われています。

 

明治時代には近代的な手延べ製法が伝わり、昭和初期の最盛期には生産者が300軒を超え、手延べ製法を用いてひやむぎやきしめん、うどんも生産されるようになったそうです。

機械生産への移行などにより生産者は急速に減少し、現在は10件ほどの事業者が伝統的な手延べ製麺の技術をつないでいるとのことです。

 

大矢知素麺は少し太めの麺で、手延べならではの強いコシやなめらかな舌触り、歯切れの良さが特徴です。

農林水産省の統計(平成21年)によると、手延べ素麺の都道府県別生産量において、三重県は全国第9位となっています。

 

 

<参考サイト>

・Wikipedia「大矢知素麺」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%9F%A2%E7%9F%A5%E7%B4%A0%E9%BA%BA

・四日市市広報2022年2月上旬号

https://www.city.yokkaichi.lg.jp/www/contents/1643956619284/simple/202202joujun0205.pdf

・大矢知手延べそうめんの歴史

http://soumen-guide.net/archives/140

・大矢知手延べそうめんの特徴

http://soumen-guide.net/archives/143

・乾めん類の都道府県別生産量

https://www.shimabara-soumen.com/article/14800426.html



三代目:次回のブログは3/27ごろ、アップしたいと思います。

 

『お!いしい けんぶんろく』について

本ブログでは、色々な産地を調べたり、食べ方を探求したり、将来的には実際に産地に行って交流を深めたり…そんなことができれば良いなと考えています。まずは勉強からと言うことで、小豆島もそのひとつですが、日本の素麺や麺類について調べながら、様々な素麺の情報を発信できれば良いなと考えています。もし、間違いなどあれば、ご指摘ください。たくさんの方の“素麺のデータベース”になればと考えています。

色々な情報を紐解きながら…なので、間違いや勘違い、伝承だと色々な解釈があったりすると思いますので、優しい気持ちで見守っていただき、一緒に学べる場にできれば幸いです。

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